不協和音 第4話

 右手と左手の皺が重ならない。眉目秀麗の男がそう言ったら、隣の男は表情一つ変えずに「そんなもんだろ」と墓前で煙草に火を付けた。ニコチンのみならずタールすらも中毒症状を起こしているその男の肺は、美人な男の黒髪よりも真っ黒く染まっているに違いない。

「勝手に人の墓参りについて来ておいて、線香でもなく煙草をあげるつもり?」
「やるかよ。これは俺のもんだ」

 知らねえババアにくれてやるもんなんてないね、そう続けたヤニだらけの男は煙を吐き出す。もちろん煙草のだ。繁光のあげた線香の香りも打ち消されるほどに、礼儀もありゃしない男の素行に呆れ果てた。しかしそれ以上の文句も言わない。どうせ直さないと知っているから。
 そう、繁光はその男のことを良く知っている。そしてその男、周りから"ユキ"と呼ばれる名雪もまた、繁光のことを良く知っている。腐りきった腐れ縁。腐っても切れない頑丈な縁。困ったものだ、繁光はどれに対してか分からない溜息を吐いておいた。

「同じ人間の手なのに違うって変な感じしない?生き物はシンメトリーが基本だろう?」
「繁光は手を合わせながらそんなこと考えてんの?生きてくの大変そうダネ」
「馬鹿にしてるでしょ」
「まさか」

───悲しんでるんだよ、お前のお婆様の代わりに。

 上手いことを言ったつもりなのか、名雪は煙草をまた蒸してカラカラと笑った。墓がまるで繁光の祖母にでも見えているかのように、談笑している笑い方はこの寺の墓地には似合わないように思う。繁光は横目で名雪を見つつ、仕方なく重ならない合掌した手を離した。

 シンメトリーは大抵の人が美しいと感じるものだ。無意識に人間はそれを渇望し思考のみならず身体に取り込んできた生き物である。それなのに、手の平の皺は合わないアシンメトリー。「繁光は手も綺麗だから大丈夫」といつか昔に繁光に言った言葉を、言った本人は覚えていないのだろう。
 シンメトリーを愛する人間は、アシンメトリーで何かが起こると慄き、時には崇拝する。占いにも使う。馬鹿らしい。心底馬鹿らしいが、美しい定義から外れる手すらも美しいのなら、名雪という男に取って何が美しいと言えるのか。定義から外れた男の事を、ゆっくり立ち上がって繁光は見下ろした。


 繁光は名雪を置いて帰ろうとすると、すぐに気付いた名雪は繁光の手首を握る。だが立ち上がろうとはしない男は見上げながら「こらこら、」と繁光を窘める。繁光は、アシンメトリーと同じくらい無意識に、この男のことが苦手だ。

「案外照れ屋さんなのな?繁光って」
「そういう君は予想通り素行が悪い」
「案外紳士よ?俺」

 こうやって倒れる恋人を受け止めちゃうくらいには。そう言い、掴んだ手首を思い切り引っ張った名雪の力で非力な繁光はいとも簡単に前のめりで倒れ、それを名雪が受け止めた。立ち並ぶ墓石の合間に大の男2人が消えて、立ち上がる煙だけが人の気配を知らせた。
 名雪の胸に倒れ込んだことで、繁光は線香ではなく煙草臭い嗅ぎ慣れた名雪の臭いを嗅ぐ羽目になる。すぐに状況を察して押し退けようとするが、名雪の手癖の悪い手が次は繁光の腰に回った。
 此処は黄泉の国の入り口だ。そんなところで、名雪は逃げようとする繁光の唇に倫理観の欠片もなく自分の唇を重ねた。それも深く。体温を共有するくらいには。

 数秒経ったところで繁光が名雪の胸板を押し退けると、今度は簡単に名雪は離れた。離れたことで互いの顔が分かるが、繁光は早速離れた事を後悔する。キスをしていたほうがいいくらいには、舌舐めずりをする獣の笑みが自分を見ていたからである。

「ユキ、僕は素直にお前に引いている」
「付き合ってんだからいいじゃん、キスくらい」
「男同士ってこと、理解してる?」
「それが?男でもキスは出来るし結婚も許されてる場所だってあるしそれに、」

───セックスもできるぜ?

 繁光は後悔している。コンマ数秒前の自分にも、数日前の自分にも、数年前の自分にも。この男を生み出したのは、おそらく自分なのだろうと悟ったからだ。
 とある日に妹から距離を取らす為に放った一言の嘘は、2人の男とその妹を加えた3人の感情も全てを餌にして、名雪という男の娯楽のために大きく育つ。今じゃもう、どこからどこまでが嘘で、どこからが真実か当の本人たちですらあやふやだろう。現に、繁光はキスされた瞬間だけ、妹の未來の存在を忘れていたのだから。墓前でキスする最低野郎の仕業で。


 名雪は黙る繁光が逃げないのを確認すると、煙草を持たない腰に回した手で繁光の手を掬いあげ手の平を重ねた。重ならない手。1ミリも同じものなどない皺を持つ2人の手が、ピタリと合わさって合掌していた。

「……僕は妹が好きだって言わなかったっけ」
「言ったっけ?じゃあ、俺はお前が好きだって言ったことあるっけ?」
「……」
「ないよな。でも、お前が俺すら気付かなかったこと、教えてくれたんだろ?責任取れよな」

 また重なった唇は、楽しそうに笑う名雪に食べられていった。重なった手は、逃すまいと指が絡まり、まるで繁光本人のほうが、鎖に捕らえられた獣のように思えた。



金釘流

私は泥沼に沈みながら考えていた。

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