ワンピースが嫌いになった日

───傷心中に夜景デートとか余計心抉られない?

 お先に目の前に広がる夜景を眺めていた俺の隣にそいつは腰掛けた。こんな甘ったるい匂いしてたっけ?そんな疑問は不躾だろうか。だってここ数年はずっと、優しい柔軟剤の香りだったから。
「うん、抉られてる。よく分かってんね」
「しかもフラれた後によく過去の元カノをデート誘うよね。案外元気とか?」
「そう見える?」
 俺には見えません。目の前の夜景はこんなに色が少なかったかな。もっと赤とか青とか黄色が星空が降ったみたいに光っていた気がする。夜景は思ったよりも陳腐なものだった。おかしいな、あの光の中を歩いていた時は最高に眩しかったのに。
 隣に座ったそいつは「見えないから焚きつけてみた」と存外最低なことをサラリと言いのけて、俺とは違い「夜景綺麗だね」なんて薄く笑う。
 そいつにとっては綺麗らしい。俺にとってはそうでもないらしい。フラれた後だから、なんてしょうもない理由を隣のそいつは今日だけ特別に許してくれると信じておいた。

「あんた、結構寂しがり屋のウサギさんだったもんね」
 泣いてないだけ自分を褒めたら?隣のそいつは夜景から俺に視線を寄越して鼻で笑う。人選ミスかと思いきや、俺が今この瞬間、その寂しがり屋なウサギさんでいてくれることを許してくれるのもそいつくらいだ。もう俺を優しく包んでくれる温もりも、俺を残してあの光の中にある。
「俺さ、」
「うん」
「こんなに過去の自分を殴り飛ばしたくなるの初めて」
「へえ」
「何が悪かったと思う?」
 それが分かれば、俺はあっちの星の海に飛び込めると思う?ぐるぐると未来は迂回して俺には届かない。その代わり過去ばかりが俺の迷路に迷い込み、どうしようもない後悔ばかりが俺の前に鎮座する。
 1人、2人。また1人。髪を切って来た時可愛いって言わなかった自分。友人との約束を入れてデートをドタキャンしてしまった自分。自分からゴメンと言ったことがないクソ野郎な自分。泣いてる彼女の涙を拭わなかった最低な自分。
 何が悪かったって、全部だろ。俺は分かりきった答えに大きく溜息を吐き出すと、そいつはそれを理解したのだろう。質問には答えなかったが、俺がフッた時よりずっと大人びた表情で俺に尋ねた。
「禁煙してたんじゃなかった?」
「そうだっけ」
「もっと言葉にすれば良かったのに。あんたって言葉が足りないもん。行動も足りないもん」
 多分彼女はもっと寂しかったんだろうね。グサグサ、胸の奥を的確に貫く言葉が今は心地よい。辛辣な言葉はスパイスとなって俺にしんしんと降り注ぐ。

 俺は寂しがり屋のウサギらしいから、フラれて1人で居たくないと泣いた挙句に元カノを誘う始末。彼女は多分、こういうヘタレた自分も嫌いだったに違いない。今じゃもう、分からないけれど。俺はまだ、彼女のワンピース姿が大好きだけど。これももう、伝えられないけれど。
 久しぶりに咥えた煙草は苦くてあまり美味しくなかった。彼女が差し出す味見を求める手料理が恋しくなる。煙はゆらりと上に昇るが、俺の恋しさは俺の胸に停滞していた。
「あー…」
 顔を上げて唸った。悲しむだけ悲しんだら、もうすることなんて1つ。選択肢なんてありはしない。それが少し嫌で、本当はすっごく嫌で、餓鬼みたいに泣き喚いてしまいたいけど、俺は唸った後夜景に視線を戻した。少しは身体から出て行っただろうか。
「夜景って案外ショボいな」
「それ私に喧嘩売ってる?」
「ショボいけど、綺麗だわ」
 ムカつくくらいきっと。今はそう見えないだけで。彼女が紛れる光の海はキラキラ輝く宝石の海に違いない。それが眩しくて、まだ見れないだけだと信じたい。そしていつか真っ直ぐ見れるようになったらいいと思った。

 これは、隣のそいつが、今日という日に限ってチェック柄のワンピースを着ていることに悔しさで項垂れるとある寂しい夜の日。

「1つだけ言っていい?」
「なに」
「お前の今日の服装、最高にセンスいいね」

金釘流

私は泥沼に沈みながら考えていた。

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