不協和音 第3話
グォングォンと鈍い轟音と低気圧により後頭部に響く頭痛の何が違うのだろう。たいして変わりないんじゃないか?吐き出す煙を今か今かと美味しそうに呑み込んでいく換気扇に尋ねそうになった。しなかったのは、ガチャリと玄関のドアが開閉した音が廊下から聞こえたからだ。
声がせずとも分かる、その後の数秒の沈黙の時間。入ってきた人物も、その人物が考えたことも、リビングに入ってくる時の第一声も、俺はすぐに予想ができた。それくらいの仲と思うと気色悪いものに他ならないが、相手が分かりやすい人間というのが大きい。
「おかえり、繁光くん」
「……ここは古藤家なんだけどな」
───ちなみにその呼び方やめろ。
分かりやす過ぎて揶揄いたくなるほどに。カッカッカと笑ってやると、うんざりした顔で綺麗な顔に似合わない舌打ちをプレゼントされた。リビングに鞄を置いて羽織ったコートをソファに掛ける。
指に挟んだ煙草の灰を人差し指で灰皿に落とし、咥えてゆっくり吸い込むと、プツプツと先端が赤く色付くらしい。それが結構綺麗なんだと誰かが言っていた気がする。誰なのかは覚えていない。
「古藤に名前変えれんならすぐ変えてくるけど」
「そういう問題じゃない気がする」
「ならいいだろ」
「相変わらずだね、ユキは」
そう、あとはこれ。繁光が口にする諦めた声の『ユキ』が俺は嫌いじゃない。怒るために構えたはずの刃物を自分で鞘に仕舞う姿はいかんせん、気分がいいものである。これを言うと口を聞いてくれなくなるだろうことも理解して、俺は言わないのだった。
ソファーに腰を掛けた繁光の後頭部を眺めながら煙草をまた蒸していると、ソファーから「使い終わったら灰皿は洗ってよね」と御達しが。何故、優等生で真面目な繁光が俺のやる事なす事に文句を言わないのかというと、十数年一緒にいて俺が文句を聞き入れたことがないからである。繁光も学ぶのだ。
「まあ、未來を先にシャワーへ入れてくれてるのは褒めておくよ」
「お兄様に怒られるといけないからな」
「ユキがここにいる事も2人して濡れて帰宅してる事も許してる訳ではないんだけど」
「許してもらいたい訳でもねえし」
「だろうね」
僕等はつくづく馬が合わない。ソファーに身体を預けて後ろ目にギロリと冷たい視線を送ってきたが、俺は手を振って応えておいた。それにフンと睨むのも諦め視線を前に戻し、テーブルに置かれたリモコンでテレビを付ける。流れたのは現在の天気と都内の生中継。テレビからも窓の外からも聞こえる雨音がシャワーの音と重なって大粒となる。
屋内だというのにマフラーとダウンを脱がない俺と、極寒の外から帰宅してすぐにでも上着は脱ぎ去る繁光は、全てが合わない。だけど一緒にいることが苦ではない。少なくとも俺は。後ろ姿からは繁光は苦を若干は感じているだろうが、抵抗をしないのだから嫌ではないのだろう。だから俺は焚き付ける。
「俺たち付き合うか」
俺の言葉が投げ込まれたリビングは静かだ。テレビに映るアナウンサーだけが饒舌に喋っている。普段無口ではない方の繁光だが、静かに本を読むのも様になる男のため、この静寂に違和感はない。あるのは行き場なく部屋に転がる俺の言葉だけ。
預けた身体を起こして俺に振り向いた。片腕をソファーの背もたれに乗せ、ジッと俺を真顔で見つめること数秒。黒い瞳は苦手だし、綺麗な顔の真顔も得意じゃない。煙草を灰皿に潰して耐えていると、繁光は何も言わずに前を向きまたソファに身体を預けた。
繁光にはこういうところがある。無言の時間さえも言葉を交わしているようなやり取りをする。沈黙さえも操って相手と会話をするのだ、タチの悪い。綺麗な顔だけが取り柄の男である。
「マフラーと上着脱げば?風邪引くよ」
引いてもいいけど。北風のような言葉も添えて。だが一服して帰宅するつもりだった俺は「いいよ、お前の顔見たし帰る」と灰皿を片付ける。御達しには忠実な俺である。また俺たちの間には沈黙が割り込んでいたが、特に問題もない。気にせずせっせと片付けてから俺専用の灰皿を定位置に戻しソファーに歩み寄る。
近寄ってきた俺にチラリと視線を寄越すがすぐにテレビへと戻り一言。
「僕の知り得る中で一番最低な男だよね、君って」
同時にリビングのドアが開けられた。ガチャリと開ければ、湯気を纏った未來が俺と帰宅した兄を視界に入れ、すかさず瞼でシャッターを切る。
「……なに、2人とも怖い顔して」
「……さて、何でだろうな?繁光に聞いてみろよ」
俺も、繁光も、未來も。本当と嘘が混ざり合う3人で、同時に最高で最低の思い出を残しましょう。カメラマンが自分たちを笑わす為に、ニカッと作り笑いを浮かべていた。
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