不協和音 第2話
「へーえ。お兄に気持ちバレてたんだ?」
「いつ俺がお前の兄のことが好きってことになったのか聞かせてくれ」
腕を後ろに回してブラジャーのホックを止める後ろ姿は、どんな女でもある程度色気が増すんじゃないだろうか。ここでいう目の前の女、もとい繁光の妹も赤ん坊の頃から知っていても女らしさが垣間見えた。しなやかなラインは猫のよう。高飛車な猫。猫を被る猫。化け猫みたいな女だな、なんて。口にするのはやめた。
「冗談だよ。でもそうか、お兄は私のこと好きだったんだ」
「お前ら兄妹の冗談は冗談に聞こえない」
「でもさ、不毛な恋ってところは合ってるんじゃない?」
───こうやって親友の妹と寝てるんだし、
うんざりして会話をするのも煩わしい。顔周りに集る小蝿のほうがまだマシに思えた。それでも会話を続けるのは、放置しているとあらぬ方向へ話が進んでしまうからだ。
嘘や冗談がいつかは真実へ転換されてしまう、そんな恐怖心をこの兄妹は植え付けるのが得意である。
真実も嘘も同じ声音と表情、仕草一つ変わらないその動作達は、綺麗な顔立ちも相まって人形と言われれば頷いてしまうかもしれない。サイボーグと言われても驚かない自信が自分にはあった。
スマホのライトがチカチカ光ったので覗き込めば、名前を確認してすぐに電源を落とした。嫌な気分が更に増して嫌悪感まで溢れ出る。この妹にだとか、あと30分もしないうちにホテルを出る時間が迫っているリミットだとか、なんだか自分が酷く汚いように思えてくる自分自身にだとか。
「欲の吐き出し口みたいなもんだろ。俺たちの間に恋も何もない」
「少しは冗談に乗ってくれてもいいんじゃない?」
「面倒」
「うわ、辛辣」
クスクスと笑いながら「つまんない男」と呟かれたがそれに返事はしなかった。そのつまんない男に欲を吐き出したのは正真正銘お前だぞ、と脅すこともしない。つまらない男で結構。いよいよ会話が鬱陶しくてごろりと寝返りを打ち視界から面倒の張本人を排除した。掃除はこまめにしましょう、そんなスローガンを掲げてみよう。
暫く沈黙が訪れ、仕方ないと身体を起こす。シャワーを浴びる前にぐるりと首を回せばボキボキと首が鳴った。慢性的な首と肩の凝りはいつの間にやら自分を蝕み、徐々に身体が動かしにくくなっているのを感じる。このまま筋肉が硬直し石化とも似た何かになる病気がありそうな。妄想はそこで止まる。
「私はユキちゃんのこと幸せにしてあげれると思うけど?」
恋だとか愛だとか、どうしてそんな不確かなものが溢れているのかしれない。ハッキリと分かればいいのに。せめて嘘か本当かくらい見えたらいい。
振り返り繁光の妹である未來を視界に捉えれば、下着を着け終えた綺麗な顔が自分に微笑んでいた。兄妹だなと思わせる黒い瞳がどうも苦手だ。
「冗談はいい加減やめろ、飽きた」
「本気なんだけどな」
「本気なのも飽きたよ」
「ほんと、ユキちゃんて酷い人間だよね」
悲しそうに微笑む未來は少し儚げで、これこそ不毛な恋だった。自分たちはみんな不毛な想いの中に生きている、そう思わせる関係だった。
視線を戻して立ち上がる。シャワーを浴びに洗面所に足先を向けて、酷い人間は会話を終わらせる。酷い部分を洗い流そう。綺麗になるまで、消えて無くなるまで、この時間を隠せるまで。シャワーの蛇口を捻る瞬間、ベッドからポツリと未來の声が微かに聞こえた。
───ユキちゃん、好きだよ。
聞こえない。不毛な恋を諦めるのは繁光のことでもあり、自分のことでもあり、未來のことでもあり。だからその声は、聞きたくない。
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